夢が責任を負うとき~海外生活における気持ちの変化や有意性について
こんにちは、製造部のズオンです。
私が海外に住んでいる今、記憶に残った瞬間について考えてみました。学生ビザや、国際的な友人とのピクニックや、花と笑顔でいっぱいの卒業式、初めて日本の空港に到着した日ではありません。午後遅く、小さな部屋に一人で座って、痛みを伴う足と疲れた頭で、最初の営業日を終えた時であることに気づきました。
学校を卒業し就職してからの大きな変化
海外で卒業することは、学習だけでなく、生きていくことにおいても、誇り高いマイルストーンです。言語学習や、パートタイムの仕事、地元の文化、祖国の懐かしさなど克服するための困難な日々の結果です。卒業式は終了し、友人達は各々去りました。私に関しては「ゼロからキャリアを築く」という願望を持って、滞在して日本国内で働く事を決意しました。
仕事の初日は、現代的なオフィス内で、丁寧な同僚やフレンドリーな上司に囲まれ、エアコン効いたデスクに座っていました。すべてが完璧すぎましたが、その新しさにも慣れた時、現実に直面しました。 専門用語でいっぱいの会議で、人々が猛烈なスピードで話し、全ての内容を「追いかける」必要があります。また、締め切りに追いつかないと、取り残されてしまうという環境の中にいます。学生だったときのような楽しさとは大きくかけ離れた世界にいます。
学生の時は、数日休みを利用して、大阪や京都に行ったり、韓国や台湾に行くことさえできました。小さな路地でヴィンテージカフェを探索したり、古い本屋を探したりする時間など、幸せで楽しい時間を過ごしていましたが、今の自由な時間は、引っ越しや、スーパーマーケットに行くこと、料理、洗濯などです。就職してからの私の人生は、もはや発見する旅行ではなく、長期的な未来の基盤を気づくプロセスにいることに気付きました。
私が学生だったとき、多国籍の友人が沢山いました。自由に食事をして、カラオケに行き、グループで勉強しました。そして今、その友人たちはは仕事に忙しく、誰もが自分の時間を持っています。彼らに会いたいときは、1週間前に予約する必要があります。
私は一人でいる方法を学び始め、徐々にそれにも慣れました。時々、祖国が恋しくなりますが、孤独感は海外だから起こるということではなく、本当の繋がりがあるからこそ、それはどこにいても同じであることを理解しています。
心理的な変化~「探検する」から「安定した成長」へ
私が最初に卒業したとき、私は多くの期待を持っていました。就職したら、私の能力を証明し、迅速に昇進して好きなことをすることでした。しかし、数ヶ月の仕事の後、その期待が徐々に現実に変わり、良い仕事をする方法を学び、自分の間違いに気づき、責任を負う方法を学びました。
「私は幸せですか?」と自問自答する代わりに、「私は貴重な仕事を経験していますか?」、「私は前進していますか?」、「私は人生と仕事のバランスをとれていますか?」と毎日尋ねています。成熟は幸せな日から来るのではなく、疲れた日の後もまだ立っているという事実から来ています。
しかし、すべてが退屈ではありません。私は自分の人生を覆うことができ、稼いだお金で好きなものを買うことができます。両親を旅行に連れて行ったり、毎月少しのお金を送ることができます。上司から初めて賞賛されたとき、給料を増やしていただいたことは、私の小さな喜びです。これらのステップのそれぞれは、もっと一生懸命努力する動機になります。今の会社では、同僚が常にサポートしてくれたり、上司は私達と一緒に食事をしてくれたり、良い会社で働くことができとても幸運だと感じています。
私は最近、故郷の味を思いだしながら、ベトナム料理を自炊する方法も学びました。海外に住むことは必ずしも素晴らしいとは限らないことを徐々に理解していますが、それは自分自身を、より良く、強く、感謝する機会を与えてくれます。
海外で生活し働くことには多くの学びがあります
海外で生活して働くことは容易ではありません。しかし、もしもう一度選択する機会があった場合、私は同じように海外にいくでしょう。その挑戦が、不安定な生活の中で自立する方法や、小さなものを愛する方法、夢のために忍耐する方法を教えてくれたからです。
これを読んでくれたあなたが、もしその旅に出ているなら、時々孤独を感じたり、疲れたり、自分自身を疑ったりすることもありますが、私たちは一人ではありません。外国の土地に住んでいるすべての若者は、皆が思うよりも静かに強く毎日戦っています。 そして、ある時点で、あなたはその旅を振り返って、「私はあきらめなかった」と、きっと笑顔になるでしょう。